子曰わく、射は主皮(しゅひ)せず。力を為すや科を同じくせず。古の道なり。(「八佾第三」16) (意味) 「礼射は的(皮)に中(あ)てるだけではない。また、人民を労役に使うとき、体力差で分ける。これがかつて古代で行なわれていた正しい方法なのである。」(論語 加地伸行) 「射」には礼射と武射があるという。武射は実戦用で的にあてることや力強く射抜くことなどが目的で、一方、礼射は礼式用で、音楽に合わせて作法に従って行うという。その際、五善ができていなくてはならないとする。五善のひとつに和容がある。これは礼儀に適った身のこなしや姿のことという。主皮(的にあてること)は五善のひとつにすぎないと加地は解説す…