江戸時代、かつての東京湾には、 九州の有明海に匹敵するような 広大な干潟地帯が見られました。 江戸の町はこの干潟地帯を埋め立てる 「干拓」をすることによって 市街地が海側へと拡大されて発達しました。 特に明治期以降は、品川沖・深川沖の干潟が 大規模に埋め立てられて、 東京湾の干潟は失われました。 ただ江戸時代には、 品川沖・深川沖には干潟が残っていたので、 春から初夏にかけて、特に春の大潮の頃には 海岸線が大規模に引いたので、 庶民だけでなく、武士達もこぞって 「潮干狩り」(しおひがり) に出掛けました。 なお江戸時代には「潮干狩り」ではなく、 「汐干狩」「汐干」(しおひ) と書きました。 江…