河野道代のあたらしい詩集『思惟とあらわれ』(panta rhei、2022年)を読んだ。「無意味」という、つよい言葉で終わる詩集である。 これまでも「わたしの無意味」(「消失点へ向かわない線」/『花・蒸気・隔たり』)や、「なみはずれた無意味」(「珠と替えられたもの」/『spira mirabilis』)など、読者はかの女が「無意味」という言葉を詩に鏤めるのを見てきたが、一読したときは、ふっつり途切れるような「無意味」という言葉が、まるで捨子のように置き去りにされているように思えて、どこか拒絶され、突き放されているような感覚をおぼえた。それは、詩人の書いた散文『詩史の形成』の最後の一文を想起して…