焼け野原に遠望される倒壊した浦上天主堂。長崎原爆資料館所蔵 広島に被爆遺構として原爆ドームがあると同じように、長崎でも壊滅的被害を受けた浦上天主堂の廃墟を被爆遺構として後世のために残そうという動きがあったが、最終的には残されなかったという話を、私は、30代頃に聞いたことがある。その話については、被爆遺構として残すことに当初は積極的であった当時の田川長崎市長が、何らかの理由によって心変わりをしたことで実現しなかったという話であった。どうして、田川市長は心変わりをしたのか?田川市長が心変わりをせざるを得ない何らかの圧力があったのか?圧力があったとすればそれはどのような圧力であったのか、その疑問は長…