淀屋橋の南詰から土佐堀通を西に少し行った土佐堀川沿い緑地に「淀屋の屋敷跡」碑。 京都・山城国の豪族の息子として生まれた岡本三郎右衛門常安は伏見城の造営や淀川の堤防改修などの土木工事を請け負い、その後大坂の十三人町(現在の北浜、石碑の所在地)にて「淀屋」を名乗り材木商を創業、中之島の開発や堂島米市(米相場市場)を主体事業として様々な事業を手掛け「天下の台所」と称された大坂経済の基礎を形作った豪商で、幕府から「豪奢僭上の沙汰(町人の分限を超え贅沢な生活が目に余る)」で闕所を命じられた五代目・淀屋廣當の代には総資産が現在の貨幣価値に換算すると200兆円以上と今に伝わる桁違いの豪商ですが、本当の理由は…