2008年10月10日第1刷 裏表紙「徳政を目指した順帝も急逝し、後漢王朝は外戚と宦官による腐敗を深めてゆく。そのような永寿元年(西暦155年)に、曹操は生まれた。続いて孫堅・劉備が。三十年後、宗教組織・太平道の信者を核に三十六万人が黄巾の叛乱に応じた時、曹操と孫堅は討伐軍に参加、劉備は学問を諦めて無類集団の中心となっていた。 解説・井波律子」 梁冀には贈賄と収賄が悪事であるという認識はない。敬愛する人を喜ばせようとする行為のどこが悪いのかと思っていた。質帝は梁冀という王朝の怪物を冷静に観ていた。9歳の質帝を梁冀は毒殺した。梁冀は蠡(れい)吾侯を皇位継承者にしようとしたが、謝暠は清河王こそ皇嗣…