正徳5年10月15日。名代は周防守(織田貞幹)が勤める。丑(午前1時)前、灰取場の押の者がいる側の家から出火し、2、3町(1町は約100メートル)が焼け、寅(午前3時)頃鎮まる。風は吹いておらず。梅香院は焼けず。門は壊す。この門前や長栄寺の側など、足立治部右衛門父の家、日置太郎七祖母の家、上松奉行手代本〆1人、足軽3人に何れも類焼する。押の者の町は焼けず。文左衛門は遠くで竹のはじける音を聞く。起き出して見るも、見えなかったので門まで出たが、見えなかった。
宝永2年閏4月18日。夜、灰取場で少し火事がある。