宝永7年1月7日。夕暮れ頃、成瀬藤大夫召仕中間久助という者が亀尾天神の町喜多尾弥三右衛門のところにやって来て下女志げという女を呼び出し、門内で少しずつ3ヶ所を切りつけ、脇差を捨てて逃げ去る。女は弥三右衛門のところで治療し、3月4日に片場下坂下の請人に渡す。弥三右衛門はその時に犬山附になる。