ふー! 長いタイトルになりました。 タイトルの説明をします。 まず、ワタクシはプロテスタント系のキリスト教教会員です。 クリスチャン歴35年を過ぎました。 献金もしてきました。 この「献金」について、どうも世間の報道などに触れるにつけワタクシは違和感があるのです。 キリスト教における「献金」とは、「献金」だけにフォーカスするもんじゃない、と強く感じています。 「献金する」ということはその前提条件として 「献金できるお金」を持っている ということですよね。 もっと言えば 恵まれてる ということですよね。 今回はキリスト教の、その「恵み感」というか「積極的金儲け感」というか、 あるいはそれは 才能…