積極的な思考を持つことはペドフィリアにとっては困難なことかもしれません。自分自身に絶望していることが想像できるからです。 ペドフィリアという特性が、抜けない棘のように刺さったまま、常に心に痛みを感じているような人生です。ペドフィリアとしての自分に、腹を据えて誇りが持てれば少しはマシになるでしょうが、そして、そうなれる考え方を私はここで提案してきたつもりですが、ペドフィリアとして粘り強く善に向かう生き方は簡単ではありませんし、何かの機会に子供に嫌われるそぶりでも見せられたりすれば、意気込みなど根底から崩れ去るほどの脆さが小児性愛者にはあるものです。裏を返せば、小児性愛というものに、自己の存在の基…