序文・藩主は江戸定府 堀口尚次 水戸藩は、常陸(ひたち)にあって現在の茨城県中部・北部を治めた藩。水府藩とも呼ばれる。藩庁は水戸城〈水戸市〉に置かれた。徳川御三家の一つである。 常陸は佐竹氏が豊臣秀吉によって54万5,800石の支配をそのまま認められていたが、関ケ原の戦いの際に佐竹義宣は徳川方に加担しなかったため、慶長7年に出羽久保田〈現秋田県〉21万石に減転封された。 佐竹氏の後、水戸城には下総佐倉藩より徳川家康の五男・武田信吉が15万石で入ったが、翌年に信吉は21歳で病死した。信吉の死により翌月、家康の十男で当時2歳の長福丸〈徳川頼宣〉が新たに20万石で水戸に入封する。その後、5万石の加増…