映画監督
田壮壮(ティエン・チュアンチュアン、Tian Zhuang-Zhuang)
壮壮の名は、建国間もない中国の将来に重ね合わせて、『強く、強く』との気持ちを持って付けられた。両親は、ともに映画俳優として知られ、父・田方(ティエン・ファン)は、『海葬』『吉他』などで、活躍し、解放後、北京映画撮影所所長を、母・于藍(ユー・ラン)は、『龍鬚溝』『革命家庭』『烈火中永生』などのヒット作品で主演し、その後、北京児童映画製作所所長、児童電影学会主席などを歴任する中国映画界の重鎮である。しかし、中学生の頃、両親が文革によって、"走資派"として批判されると、自身も吉林省に下放され、馬車夫、農作業に従事した。 その後、軍隊に入隊し分隊長を経て、軍隊の新聞の撮影記者となり、1975年に北京に戻ると、農業ドキュメンタリーの撮影監督見習いとなった。 1978年に北京電影学院が再開されると、中学でも同級でともにバスケットボールチームにも所属していた陳凱歌(チェン・カイコー)(監督科)や、張藝謀(チャン・イーモウ)(撮影科)と同期で入学する。最初の作品は、1981年に共同監督したビデオ作品『小院』である。 1982年に卒業すると、児童映画『紅象』(1982年)、テレビドラマ『夏天的経歴』(1982年)と、徐々にキャリアを積み、映画3作目の「盗馬賊」(1985年)で、ヨーロッパ、北米を中心に多くの支持を得て、現在では第5世代の基礎を築いた作品と言われる。その後、「青い凧」(1992年)で東京国際映画祭グランプリを受賞。10年ぶりの監督復帰となる本作「春の惑い」(2002年)ではヴェネチア国際映画祭コントロ・コロンテ部門グランプリ(サンマルコ賞)を受賞した。
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