・紀元前247年 嬴正は秦王として即位した。(『史記』秦始皇本紀) 李斯は郎官として謁見した。 ※13歳の少年君主が国政を担うことは困難なため、呂不韋が代行した。正は不韋を父に次ぐ者を意味する「仲父」と呼んで敬った(渡邉義浩『「中国」は、いかにして統一されたか』)。 ※『史記』-呂不韋列伝には、正の母は呂不韋の愛妾であり、先王,子楚の妻となった後に正を出産したとある。しかし王の血統は神聖視されるものであり、呂不韋が実父であれば即位できないはずであるほか、妊娠を隠して子楚の妻になったことが記録されることは不自然であると指摘される。そのため呂不韋が実父であるという呂不韋列伝の記述は創作された説話で…