正徳5年11月3日。夜、赤坂で大崎一郎右衛門が痞え(腹痛、胸痛)を発し、死んでしまう。変死の疑いもあったが、本当に病死だと。5日の朝、御馬廻小頭も家へ行くが、急病のことで駕籠のままで置き、ちょっと見てくれと一家衆が言うけれど、見はしなかったと。38才であった。男の子があり、太郎八と言い、10歳であった。
宝永7年12月9日。午半(午後0時)、権内の妻が水風呂からあがると急に椽に倒れ、気を失ったので水を少し飲ませる。その後、水薬も受け付けなかったので、医師などが多く集まり、様子を見守る。申(午後3時)過ぎ、ようやく正気を取り戻し、徐々に回復する。痞(つかえ)と。