国際政治学者。1950年、愛媛県新居浜市生まれ。
東京大学大学院社会科学科国際関係論修士課程修了。コーネル大学Ph.D.取得。 東京大学東洋文化研究所助手、同教養学部助教授、米国コーネル大学歴史・アジア研究科助教授、同准教授、京都大学東南アジア研究センター教授を経て、現在、政策研究大学院大学副学長。 『インドネシア 国家と政治』(リブロポート)で、1992年度、サントリー学芸賞を受賞。
金山城の頂上の新田神社。 中山知久平の銅像を発見。中島飛行機の創業者。 万葉歌碑。 金山城跡ガイダンス施設 万葉歌碑。 大光院。呑龍さま。 新田荘歴史資料館。 新田義貞。 旧中島家住宅。 中島知久平。 大隈俊平美術館。刀剣。 「名言との対話」3月18日。吉野作造「人世に逆境は無い。如何なる境遇に在ても天に事へ人に仕える機会は潤沢に恵まれている」 吉野 作造(よしの さくぞう 1878年〈明治11年〉1月29日 - 1933年〈昭和8年〉3月18日)は、大正時代を中心に活躍した日本の政治学者、思想家。 宮城県生まれ。東大教授。論壇で活躍し『中央公論』などに多くの評論を発表、民本主義を提唱し、普通…
我が家の購読新聞、熊本日日新聞で熊本県立大学理事長の国際政治学者の白石隆さんが解説していました。 ネットでは有料会員以外は見ることができないようなので、少し引用させて頂きます。 まああえてちょっと見づらいままにしておきます。 アメリカをはじめとして欧米各国が金利を上昇させたために、特に日本では対ドルで円安が進行し大変な状況になっています。 しかしこういったことはこれまでにも何度も起きており、1980年代にアメリカで大変なインフレとなった時に当時のFRB議長のボルカーが高金利政策でインフレ対策を行った時も途上国で債務超過となったのですが、その時にもボルカーはその危機を承知していてもアメリカのイン…
こんにちは、ハクです。 昨日の首相の動きについてのメモです。ご覧くださいませ。 ――――――――――――――――――――――――――― ◆岸田文雄「首相日録」情報 (2022.12.11) 10:06 公邸発。 10:26 羽田空港着。 10:51 全日空677便で同空港発。 12:00 広島空港着。 12:11 同空港発。 13:01 広島市南区のグランドプリンスホテル広島着。同ホテル内の宴会場「スイート デ フルーツ」で秘書官と昼食。 www.princehotels.co.jp 13:55-14:36 同ホテル内の宴会場「珊瑚」で自民党広島県連の中本隆志会長代理、冨永健三幹事長。 15:…
時事通信 核の時代。 この国は、どうなるのだろう。 _________________________________ _________________________________ 広島市で開催中の核廃絶に関する「国際賢人会議」のメンバーが11日、平和記念公園を訪れた。代表して座長の白石隆熊本県立大理事長とケイン元国連事務次長が原爆死没者慰霊碑に献花した。2015年に米政府高官として初めて8月6日の平和記念式典に出席したガテマラー元国務次官や、ロシア、中国などの有識者が参加した。 「核兵器なき世界」どう実現 国際賢人会議 一行はこの後、資料館も視察。展示をスマートフォンで撮影するメンバー…
先日、地元近くを散歩していると石碑が目に入った。近づいてみると、「皇紀二千六百年記念」と刻まれている。愕然とせざるを得なかった。というのも、この石碑がある場所は、いわゆる被差別部落だったからである。おそらく1940年の「紀元二千六百年記念行事」の中で建てられたのだろうが、被差別部落の人々が建てたのだろうか。それ以外の人が建てたのだろうか。いずれにせよ、この石碑は今日に到るまで誰にも破壊されることなく残っていた。 それで思い出したのは、中上健次『紀州――木の国・根の国物語』のある一節である。これは中上の故郷・紀州の彼自身によるルポルタージュである。中上は天満の木下ゆきえという人の家を訪れ、あるも…
自由で開かれたインド太平洋戦略 外交アジアインド太平洋 インド太平洋 自由で開かれたインド太平洋戦略(じゆうでひらかれたインドたいへいようせんりゃく)は、2016年(平成28年)8月に、当時の内閣総理大臣・安倍晋三が提唱した日本政府の外交方針。英訳は「Free and Open Indo-Pacific Strategy(略称:FOIP)」[1]。外交用語としての「インド太平洋」は2007年(平成19年)に第90代内閣総理大臣だった安倍が最初に用いた(後述)。 概要 日本の構想は、中華人民共和国の経済的台頭を意識して、インド洋と太平洋を繋ぎ、アフリカとアジアを繋ぐことで国際社会の安定と繁栄の実…
せめて一月に一度は更新するつもりだったけれど。 アレルギー性鼻炎から、急性副鼻腔炎。耳は言うに及ばず、目の奥、頬・顎、首筋とアタマの右半分のあちこちが痛く、大きな音や強い光がキツい。この間かかった耳鼻咽喉科、特に名は秘すが初めは竹数筑庵先生、次は山井養仙先生ともこちらの不審・不信を煽るような診療ぶりで、最後には「これはコロナかもしれぬ」なぞと言わて内科に回され、吹きさらしの椅子で一時間近く待たされたあげく、鼻に綿棒を突っ込まれ、そこから今まで出てもなかった鼻水が出始めた始末。もちろんどの医院でもしっかりカネはふんだくられる。陰謀論は知的賤民の道楽とばかり思い込んでいたが、食いものにされたとしか…
前回、エロシェンコの帰郷にふれて、魯迅の「故郷」を挙げたこともあり、この作品にも言及してみよう。それは『エロシェンコの都市物語』を著した藤井省三の『魯迅「故郷」の読書史―近代中国の文学空間』(創文社、平成九年)も合わせて読み、とても触発されたからだ。なお「故郷」のテキストは『魯迅文集』(第一巻所収、竹内好訳、筑摩書房、昭和五十一年)による。 「故郷」は北京の総合雑誌『新青年』に掲載され、一九二三年に北京の文芸クラブ、新潮社から刊行の魯迅の第一創作集『吶喊』に収録された。これは同社の「文芸叢書」第三巻で、この単行本化によって「故郷」はその後、版元を変えながらも、中国全土や海外へも伝播した。藤井に…