凪のあとには嵐があり、嵐のあとには凪がある。人生はただ事もなく一直線にすすむことはない。人生は階段をのぼるように進行し、それをのぼりつめたところで、はい、おしまい ―― というようなものではない。幼児期の無意識の魅惑、少年期の盲信、青年期の迷い(これは避けがたい宿命である)、それから懐疑主義、つぎに不信、そして最後に壮年期の『もしも』という優柔不断な思考の終着点に到達して、はい、おしまい ―― というわけにはいかないのだ。一度この過程をふむと、またその過程をくりかえすのだ ―― 幼児、少年、おとな、『もしも』を永遠にくりかえす。(メルヴィル『白鯨(下)』岩波文庫、2004) こんばんは。以前、…