・459年 倭国は新羅を攻めるも撃退された。 ・460年 12. 倭国は宋に使者を派遣した。(『宋書』孝武帝紀) ※倭国の使者はそれまで通り百済を経由して宋に至ったと思われる。そのため、新羅と同盟を結んでいても、倭国を軽視はしなかったと考えられる(河内春人『倭の五王』)。 ・461年 4.? 百済の蓋鹵王,扶余慶司は弟の昆支(軍君)を倭国に派遣した。(『日本書紀』) ※何らかの倭国と百済の合意のもと、百済王子が派遣されたと思われる。先王とは違い積極的に倭国との友好関係の構築を望み、王族を派遣したとも考えられる(河内春人『倭の五王』)。 ・462年(宋暦大明6) 宋の孝武帝,劉駿は、倭王の世子,…