六 石坂周造は、下獄後5年近くを経た慶応4年(1868)3月15日に出獄し、かつての同志山岡鉄舟(鉄太郎)に預けられたという。その出獄は、山岡が徳川家軍事取扱勝海舟に交渉して実現したらしい。山岡鉄舟は石坂放免の前月、精鋭隊頭歩兵頭挌に任ぜられ、前将軍徳川慶喜の内命を受けて、静岡の東征大総督府参謀西郷隆盛と会見し、この月13日の勝海舟と西郷隆盛の会談を実現させていた。翌14日の2人の2度目の会談で、同日に予定されていた官軍による江戸城総攻撃が回避されことは周知の事実である。山岡はこの後作事奉行挌大目付、さらに若年寄挌幹事役、翌明治2年には静岡県権大参事と栄進している。 出牢後の石坂はその山岡家に…