ここ奈良には神社、お寺が多く、参拝する人たちが神仏の前で手を合わせて祈っています。そこでは大切なことは願いが聞き届けられることであり、神仏がどのような存在なのかは問題となりません。願いが聞き届けられることが大切となっています。 これに対して聖書では、神がいかなる方かが問題となります。つまり私たちはどのような神を信じるのか明確にすることが大切とされます。使徒信条では、「われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず」とあります。神は天と地の造り主であり、全能であり、父なる存在であるとされます。 私の場合、神さまを知る三つの段階があるように思います。最初は、教理として神さまがいかなるかを知る段階です。基…