青漣院から神宮通りを知恩院へ。 ちょうど16時を過ぎた処で三門は閉じられ参拝は叶いませんが、1212年法然上人入滅、門弟たちが終焉の地である大谷に廟堂を築き、1604年徳川家康が、粟田口の守りを固める役割を持たせ青蓮院の地を割き寺地堂舎を造堂、現在の堂塔伽藍がほぼ完成。 その城郭を思わせる高低差の有る広大な境内を歩くのは、膝がもう限界でまたの機会に時間も余裕を持って来たいと思います。 一番北の黒門。 三門前。 日本最大級の三門。 南門。 参道民家の椿。庭木としては低く刈り込まれますが、高さ20m位には大きく成るそうです。 参道から山門。 東大路通沿い「知恩院新門」。 ランキング参加中京都 ラン…