前回の記事でも書いたが、 自分や、家族や、花や、鳥や、悲しい出来事など あらゆるものに神(無限の全体)が湧いていて、 それそのもの〝ひとつ〟でしかないことが、 はっきり智覚されてくると、どんどん世界が、 〝ひとつ〟(神)へと収斂されてくる。 これを説明するのはすっごく難しい。 私の気配はあるけれど、実体はどこにもいない。 テレビと認識してはいるけれど、テレビではない。 怒りは湧くけれど、怒っている主体がいない。 全体がひとつとして顕われているだけだ。 blog.hoshitani-shusaku.com blog.hoshitani-shusaku.com 以前は、瞑想とかをしながら、 無限の…