6世紀〜8世紀半ばにモンゴル高原から中央アジアにかけての地域を支配したテュルク系(トルコ系)遊牧騎馬民族とその国家。突厥という言葉自体がテュルクの音写表記。独自の文字をもっていたことで知られている。
その首長は可汗(ハガン)とよばれた。
アルタイ山脈の麓に住んでいた。当初はモンゴル高原に勢力を伸ばした柔然に従属していて、鉱業に従事していた。6世紀中頃から徐々に勢力を強め、有力氏族であった阿史那氏の族長土門(ブミン)は同じテュルク系である鉄勒諸部族を服属させると552年柔然の敕連頭兵伐可汗(阿那瓌)を破って独立した。土門は即位して、伊利(イリク)可汗となった。その後三代木杆可汗はモンゴル高原の柔然を滅ぼし、契丹を討ち、キルギスを併せ、ササン朝ペルシャと結んで隣接するエフタルを滅ぼし、大勢力を築き上げた。その領土はモンゴル高原からカスピ海北岸のキプチャク草原に至り、ソグド人などの定住民が居住する中央アジアのオアシス地帯までも支配する大帝国を築き、その支配のもとで中央ユーラシア全域に及ぶテュルク世界の原型が形作られた。
その後、隋の離間策によって東西に分裂した。