宝永1年6月24日。文左衛門は役料米手形の裏判を取る。
元禄16年7月1日。文左衛門は役料の米手形を蔵へ持たせ遣わし、4分の売却金1両と56匁を受け取る。ただし1両の半銀(銀貨)は書き替えが来たので平田(両替商)へ持たせ遣わし、小粒(1分金)と銭で受け取る。