宝永2年6月23日。文左衛門は忌明けで彦兵殿へ出かける。役料手形の裏判を取る。近頃、代官粕谷岡右衛門は巾下の屋敷を拝領するが、引っ越しをせずにほかの者に貸し出し、自分は屋敷を借りる。それならば屋敷は差し上げるようにと国奉行から内意がある。
宝永1年11月13日。文左衛門は役料の裏判を取る。
宝永1年6月24日。文左衛門は役料米手形の裏判を取る。
元禄16年11月12日。文左衛門は役料手形の裏判を取る。公の額直し、袖留で、尾張でも側物頭以上が祝儀のため老中のところへ出かける。
元禄15年11月12日。文左衛門は役料裏判を取る。
元禄10年閏2月12日。曇。彦兵から小右衛門手形が裏判(裏書)して届く。