キリスト者は律法に背いても罪をとがめられず、罪の責めを受けません。 キリスト者は神を知り、神を喜び、神を誇ります。 キリスト者は神の戒めを喜んで進んで行いたいと考えます。 神はキリスト者に神の戒めを行う力を与え、キリスト者は神の戒めを守ります。 このようなキリスト者になるために、自分はぶどうの木の枝と考えるのもよいと思います。ヨハネ福音書15章にある主イエスのたとえです。 ヨハネ 15:5わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。 主イエスがぶどうの木であり、私はその枝です。私は枝としてぶどうの木である主イエスにつながっています。この私には三つの約束が与えられています。主イエスは父なる神の…