Ⅰ.まだ名のない犬 食堂の空気には、まだ夕食の匂いが残っていた。 油と焼いた豆、それから湿った衣服の匂い。外では、風が少しずつ強くなっている。窓枠の隙間を抜けるたび、古い建物のどこかで薄い金属板が震えた。 ドミノが椅子から立った。壁際で伏せていた犬の耳が動いた。目だけが、彼女を追う。 ドミノは気づいていたが、何も言わなかった。 空になったカップを片づけ、食堂の出口へ向かう。 その時、床を擦る小さな音がした。 犬が立ち上がった。 前へ回り込むことはしない。近づきすぎもしない。 ドミノから二歩ほど離れた横で、一度止まった。 彼女が廊下へ出る。 一拍遅れて、犬も歩き出した。 ドミノは足を止めた。 犬…