昨夜、また姉と話していまして、 推察がずれている人が氣になるんだよね、という話をしていました。 同じ人を見ていても姉はそう感じないということで、「(私の中に)何かあるね、間違っちゃいけないみたいなのに似た、洞察しなければならないとか」なんて話をしていたんですね。 よく通知表に「洞察力がある」と書かれていた私なのでw、ないことが意味が分からない部分があるのか?、洞察力がない、ということに対してジャッジメントしているかもしれない。。 それは自分の一部なので、あるとないが同時に存在していいのに、裁いているときは、偏っているわけなんですよね。 で、昨夜は、とりあえず、何か核心をつかむまで放っておこう、…