豊後佐伯地方(旧南海部郡)では山に登ればどの山からも豊後水道とその向こうの四国の見事な眺望が容易く手に入る。16世紀末の最後の国人領主佐伯惟定も、その後に入封して来た毛利高政も、それぞれの山城から同じ光景を眺めた。海に出よう、海で生きよう、と思ったに違いない。現在でもその光景と人々の思いは変わらない。 佐伯地方は豊後水道に面し、内陸部は重畳の山々が途切れる事のない稜線を形成し、この地方をぐるりと囲んでいる。その内懐に人々が暮らして来た。海岸線は、かつては「佐伯の殿様浦で持つ」と言われる程に、兎に角、魚が取れて仕方がなかった。魚が回遊してくるといずれの湾も海水面が盛り上がるほどであった。稜線が何…