京都の有名なお墓巡りがしたい、ということで、先日、京都に行ってきました。 朝鮮の役の際の「耳塚」。秀吉の眠る「阿弥陀ケ峰」。行きたかった清水寺の下にある鳥辺山墓地。 また後編では、秀吉の甥・秀次の「悪逆塚」。信長のお墓のある「阿弥陀寺」と見たかったお墓巡りをしています。 [http://:title] ①巨大な塚はいったい誰の為?の「耳塚」 ②秀吉の眠る「阿弥陀ケ峰」 ③清水の谷を埋める一面のお墓「鳥辺山墓地」「大谷墓地」 最後に ①巨大な塚はいったい誰の為?の「耳塚」 さて、京都駅で降り、崇仁などを通り、まず秀吉の眠る阿弥陀ケ峰に向かいます。 阿弥陀ケ峰方向へ 豊国神社を目指して歩いていくと…
10/23(土)に『東京城址女子高生』3巻の第13話「遊ぶ練馬城」に関連した史跡を回ってきました。 www.harta.jp 掲載した写真は『PENTAX K-3』で撮影しています。 cosinon.hateblo.jp PENTAX K-3+smc PENTAX-DA L 1:4-5.6 18-50mm 以下に『東京城址女子高生』のtwitterで配信されたイラストを転載しています。 twitter.com 春日神社(春日町) 鷺宮八幡神社 高松八幡神社(若宮八幡) 圓浄法師塚(耳塚) 長久保道跡碑 春日神社(春日町) jinja.tokyolovers.jp 山田果苗『東京城址女子高生』©…
定番の(?)異界魔界ツアーで必ず訪れる耳塚だが、 この日は思わぬ団体が二組参拝していた。観光バスで来た僧侶の一団。般若心経を唱えていたから 浄土真宗系ではなさそうである? 静岡県のお坊さんの人権研修である。相前後して韓国からの修学旅行生の一団。 ガイドが説明をしていたが、韓国語は全く分からないにもかかわらず、 トヨトミヒデヨシだけは良く分かった(2,3回聞こえてきた)。 中には入れなかったが、リーダーの合図で一斉に黙祷していた。
著者:大塚 淳[おおつか・じゅん](1979-) 科学哲学(生物学の哲学、統計学の哲学)。 装丁:耳塚 有里[みみづか・あり] NDC:417 確率論、数理統計学。 統計学を哲学する « 名古屋大学出版会 統計学を哲学する作者:大塚 淳名古屋大学出版会Amazon 【目次】 目次 [i-iv] 序章 統計学を哲学する? 001 1 本書のねらい 001 2 本書の構成 005 第1章 現代統計学のパラダイム 1 記述統計 012 1-1 統計量 1-1-1 一変数統計量 1-1-2 多変数統計量 1-1-3 離散変数 1-2 「思考の経済」としての記述統計 1-3 経験主義、実証主義と帰納の問…
近くの駐車場と海とのショットでも負けない存在感を出しています。(cf.バックナンバー→その631:【1時間目】USA【パピロ】 - 廃墟ガールの廃ログ、その632:【2時間目】鉢地峠道 - 廃墟ガールの廃ログ) かなり大きいことがよく分かりますね。 坂をずんずん登っていくと見えてきました。 ここで螺旋階段につかまります。有刺鉄線でラッピングされた縦長の筒のような外側と、 外側のインパクトをも上回ってくる錆と枯れ枝の内側。なんてお美しいのでしょう。螺旋階段なんてみんな好きに決まっています。 苑、のはねにプロの仕事をかんじます。 はめこみ式になっていたライト。もう型にはまり続けるのはうんざりだ! …
♦♦♦朝鮮戦争♦♦♦ 1910年、日本に併合された日帝36年の歴史に幕が降ろされ、『1945年8月15日、日本から解放された韓国に「光復」の日がきました。「万歳!」の声と、太極旗の渦に覆われた感激の日でした。しかし私は、遠からず朝鮮半島に訪れるであろう驚くべき災難を予感して、とても深刻になり、喜んで万歳を叫ぶことができませんでした。独り小さな部屋に閉じこもって祈りに熱中しました。不吉な予感どおり、祖国は日本の植民地支配から解放されましたが、すぐに38度線で国が二つに分かれました。北朝鮮の地に神を否定する共産党が足を踏み入れたのです』(自叙伝95ページ) 光復後の混乱状態の中、文鮮明師は、194…
2016年発表の本書は、3人の歴史学者(*1)による京都の歴史探訪で、15の道を紹介している。ガイドブックにある「○○は何年に建立されました」的な紹介と、歴史書にある「このような時代で、××のために必要だった」的な解説を融合した書である。ある種の道やエリアを15取り上げていて、まるでタイムマシンでそれらを体験しているようだ。15の「道」とは、 1)室町と山鉾の道~町衆と図子 2)開化と繁華の道~新京極と祇園 3)清水坂の歴史と景観 4)キリシタンの道 5)鴨東開発の舞台~岡崎周辺 6)大礼の道~皇居から京都御苑へ 7)「日本国王」の道~北野と北山を歩く 8)災害の痕跡を歩く~鴨川流域をたどる …
美作国を行く 17 岡山県津山市に来ています 美作国二宮である高野神社に参詣してから、 近くにある美和山古墳群までやってきました
今回は京都府京都市の豊国(とよくに-)について。 豊国神社は東山区の住宅地に鎮座しています。祭神は豊臣秀吉。 創建は1599年(慶長四年)。豊臣秀吉(1598年没)の遺体は阿弥陀ヶ峰に埋葬されましたが、1599年に朝廷から「豊国大明神」の神号が下賜され、豊国神社として祭祀されました。1615年に豊臣氏が滅びたあとは、徳川家康の命により豊国神社は廃絶され、法広寺の鎮守社となりました。社殿は北政所の要望によって破却を免れますが、修理が許可されなかったため荒廃し、明治に至るまで再建・再興されませんでした。 現在の豊国神社は明治天皇の勅命で再興されたもので、1880年に現在の境内や社殿が整備されました…
寝る前に書くことにタイトルなんか付けない。ピーチツリーフィズがぶがぶ飲んだらおねむになったんで、本編明日書きます。m(__)m今日の大河ドラマ『どうする家康』「討ち取った敵の首を持ち帰るのが困難な場合、代わりにその鼻と耳を切り落としその数をもって手柄とする習わしでござる」(本多正信/松山ケンイチ)そうやって大量に持ち帰った耳や鼻は日本国内に耳塚・鼻塚をつくって供養された。人の頭部はそれなりに重量があるから、たとえ船で運ぶにしても限界がある。そこで、頭部の代わりに耳と鼻を持ち帰った。ひどい話だ。文禄・慶長の役で得たものなど何も無い。得たとすれば朝鮮と明国からの恨みだけだ。耳塚・鼻塚の後始末をやら…
京と伏見の町を南北につなぐ「伏見街道」は、大和街道などとも呼ばれています。 今回は、かつての京都における動脈の一つであったこの街道を、北の端からたどってみようと思います。 まずは、その前半として、中間地点の藤森を目指します。 鴨川より少し東側の五条通。 五条通と交差する本町通が、ここから南に向けて続いています。 この場所が、伏見街道の起点。 街道の終点は、城下町伏見の南端にある中書島になります。 現在は、一方通行の狭い道。 南へ進むと、すぐ左手に、豊臣秀吉を神として祀る豊国神社の鳥居。 かつて秀吉が、巨大な方広寺大仏殿を築いたところです。 鳥居の前には、耳塚。 文禄・慶長の役で秀吉軍が朝鮮半島…
前回の三成古墳からは車で東に15分ほど、津山駅の西3㎞あたりで吉井川に向けた舌状台地に立地する美和山古墳群へ。 一回りして停められる場所を見つけました。丘の西側の道路沿いの標柱を入ると… このようなスペースに出ます。側溝の蓋が一部だけなので脱輪要注意。 そこにあった説明板。 国指定史跡 美和山古墳群美作地方最大の前方後円墳を含む古墳群です。北から1号墳(前方後円墳・全長83m)・2号墳(円墳・直径約40m)・3号墳(円墳・直径約40m)の3古墳で構成され、地元では伝説にもとづきそれぞれ胴塚・蛇塚・耳塚と呼びならわしています。いずれの古墳も盛り土の表面を人頭大の河原石でおおい、2号墳・3号墳から…
新冠川右岸に見えるピポクチャシ(判官館)跡 道南方面と日高路を往復してると、江戸前期に起きたアイヌ民族の一斉蜂起「シャクシャインの戦い」が偲ばさります。 争いの発端となった静内川(R4.6月)対岸(左岸側)はシャクシャインの本拠地シベチャリチャシのあった真歌の丘 大河ドラマがいよいよ大詰め、折しも関ヶ原前夜まできました。 敗軍の将・石田三成の孫が弘前藩の援軍を率いてこの蜂起の鎮圧に参加したとのこと。関ヶ原と比べ兵の動員規模は桁違いですが、遠征距離では決して見劣りしません。 縮尺を揃えてみると‥上は松前~国縫~シベチャリ(静内)下は京都~関ヶ原~江戸(遅参した徳川本隊)テキトーなので精度はご容赦…
さて、本日は前回に引き続き2023年10月に発表された日韓の好感度調査結果を、日本のメディアがどう伝えたかについて扱っていきます。 本日の投稿動画 www.nicovideo.jpyoutu.be ミスリードが続く韓国報道 http://ooguchib.blog.fc2.com/blog-entry-468.html【ゆっくり解説】日韓併合はなぜ合法? part1/2 https://oogchib.hateblo.jp/entry/ar1953800【ゆっくり解説】日韓併合はなぜ合法? part2/2 https://oogchib.hateblo.jp/entry/ar1956248 注…
乳川を追って 前回は、高瀬川、梓川が合流し、そこに穂高川も加わって、一つの犀川になるという話をしました。(ちなみに、犀川は長野市で千曲川に合流し、千曲川は新潟県に入って信濃川と名称を変えて日本海へと注いでいきます。) ところで、「乳川 (ちがわ) 」 「乳房橋 (ちぶさばし) 」って? この不可思議な名前を調べるために、今回は穂高川に焦点を当てて追ってみましょう。穂高川もいろいろな川が注ぎ込んで一つになっていきます。さて、穂高川って、どこを指すのでしょう?まずは地図で確認しましょう。 よく分からないですね。それでは、川の区別がつくように色をつけてみます。 さらに、橋も多く出てきますから、橋の名…
伏見城の戦いに関係する遺構として「 血天井 」が残されているお寺はいくつかあるのですが、中でも北区鷹峯の「 源光庵 」と大原の「 宝泉院 」に、ここ東山の「 養源院 」が有名です。 「 養源院 」は、三十三間堂の東側、ハイアット リージェンシー 京都の南側。 三十三間堂(蓮華王院)の 南大門 です。 三十三間堂の南側は人通りも少なく、いつもこんな感じですね。 東側から撮ったので、遠くに 京都タワー が見えます。 この門を入ると、左側に三十三間堂、右側に2つのお寺さんがあります。 1つ目が「 法住寺 」 後白河法皇 の御所「 法住寺殿 」の名残ですね。 北隣に「 後白河天皇法住寺陵 」への入口が…
今回は八面大王についての3回目。「八面大王」の名の付くものを紹介します。 八面大王足湯 まずは八面大王足湯についての簡単な動画を観てください。 安曇野にある山麓線とは松林の多い県道25号のことです。この山麓線対して、JR大糸線駅から東西に横切る道路があります。北から「有明山通り」(安曇追分駅から) 「中房線」(有明駅から) 「しゃくなげ線」(穂高駅から) です。 しゃくなげ線が山麓線にぶつかる辺りに、日帰り温泉施設「安曇野しゃくなげの湯」や地元産の農産物加工・販売施設「Vif(ビフ) 穂高」があります。 道路(山麓線)から見た Vif穂高 (左) と しゃくなげの湯 (右) しゃくなげの湯の玄…
有明山に鬼が出る !? 「有明山に鬼が出る!」昔、この地域の子どもたちは、両親からそう聞かされていたらしいけど、鬼が住んでいたの? 穂高有明を中心として周辺の地域に広く言い伝えられていたんだ。その話は「八面大王伝説」と呼ばれていたんだ。八面大王というのは魏石鬼 (ぎしき) の別名なんだ。 怖そうな顔をしている八面大王だね。大王って呼ぶくらいだから強いんだろうね。良い鬼なの? 悪い鬼なの? それは鬼伝説と英雄伝説の両方があるんだ。今回は鬼伝説についてお話しよう。まず、どこに鬼が住んでいたか、地図で確認しておこう。 有明山神社に近い場所なんだ。有明山神社の隣りに正福寺 (しょうふくじ) というお寺…