文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)
1592年、の釜山浦上陸をもって開始された豊臣政権による朝鮮侵略戦争。日本軍は緒戦で朝鮮正規軍を破ったが、朝鮮民衆の義兵闘争や明の救援軍の反撃により、明との間に停戦協定を締結。しかし1597年再開された戦闘は、翌年8月の秀吉の死まで続いた。この侵略は朝鮮の国土・民衆に甚大な被害を与えたのみならず、過酷な軍役・徴発によって豊臣政権の基盤もまた動揺する結果となった。朝鮮出兵。
なんかちょっとマンガチック NHK大河ドラマ「どうする家康」第38回「唐入り」が先週10/8に放送された。あと10回かと思うと感慨深い。残り10回で、女狐お茶々を打ち破って天下泰平の世を築けるのかタヌキ家康!狐と狸の化かし合い!みたいな流れになってきた。 何とも善悪がはっきりし過ぎ、茶々が全部悪を被る方向(でも麗しい悲劇のヒロインなのよ)なのがどうもマンガチックだ。ジャニーズ崩壊といえど、松潤を悪者には「絶対」しないんだろうね。既定路線、当たり前か。そう考えると、岡田准一は爽やかとは縁遠い、思い切った信長を演じたものだ。 公式サイトからあらすじを引用する。 天下統一を果たした秀吉(ムロツヨシ)…
日本との関係 壬辰倭乱によって侵略された朝鮮は日本との外交関係を断絶した。しかし、日本の徳川幕府は経済的な困難を解決し、先進文明を受け入れるために対馬島主を通して朝鮮に国交を再開するよう要請してきた。朝鮮は幕府の事情を調ベ、戦争のとき捕えられた人々を連れ帰るために惟政(四溟大師)を派遣して日本と講和し、朝鮮人捕虜7000余人を連れ帰った(1607)。すなわち己酉約条を結んで釜山浦に再び倭館を設置し、制限された範囲内での交渉を許した(1609)。 一方、日本は朝鮮の先進文化を受け入れ、徳川幕府の将軍が変わるたびにその権威を国際的に認められるために、朝鮮に使節の派遣を要請してきた。これに朝鮮では1…
両乱の克服 倭軍の侵略 15世紀に比較的安定していた日本との関係は、16世紀になると対立が激化した。日本人の貿易要求がさらに増えたことに対して朝鮮政府の統制が強化されると、中宗のときの三浦倭乱(1510)や明宗のときの乙卯倭乱(1555)のような騒乱がしばしば起きた。これに朝鮮は備辺司を設置して軍事問題を専門に担当させるなど対策を講じ、日本に使臣を送って情勢を深ったりした。 日本は戦国時代の混乱を収拾した後、徹底した準備の末に20万の大軍で朝鮮を侵略してきた(1592)。これを壬辰倭乱という。戦争にあらかじめ備えられなかった朝鮮は戦争初期に倭軍を効果的にくい止めることができず、宣祖は義州に避難…
【目次】 女真族と戦った加藤清正 正確な状況規定を欠いた日本側 現場が勝手に交渉をまとめようとする理由 拉致され、世界各地で売られた朝鮮人奴隷たち 文禄・慶長の役 (戦争の日本史16) 作者:中野 等 吉川弘文館 Amazon タイトル通り、豊臣秀吉の朝鮮出兵「文禄・慶長の役」を概説した本です。日本史の中でもよく知られた出来事ではありま須賀、まずは本書に沿って経緯をおさらいしてみましょう。 女真族と戦った加藤清正 東アジア秩序の再編を目指した秀吉は、明の征服と天皇の北京入城などを企て、そのための「侵攻路を貸せ」という理屈で朝鮮半島に兵を出すに至ります。序盤は明らかに準備不足の朝鮮側を日本側が圧…
名護屋城大手口 by:photo-ac ▼PR ▶一休高級ホテル・旅館が最大60%OFF! ▶【じゃらん】国内25,000軒の宿をネットで予約OK!2%ポイント還元! 55回目になりました。 今回は佐賀県の名護屋城ですね。 標高約90mの半島の勝男岳(垣添山)に築城された平山城で、別称は左縄(さなわ)城です。 「日本100名城」(第87番)に選定されています。 ****************************** 豊臣秀吉は、天正19年(1591)朝鮮半島への出兵を決め、その出陣基地となる城を肥前名護屋の地に築き始めました。 東松浦半島の先端近くです。 翌年には秀吉の御座所(陣城)にふ…
海軍の将として頭角を顕した小西行長 今回の主人公は、秀吉の朝鮮出兵で朝鮮や明国との交渉役だった小西行長。どうして小西行長はこの戦いをとめることが出来なかったか。 宇土城跡に立つ小西行長像 番組はまずお城クンこと千田氏がハイテンションで名護屋城を回るところから始まっているが、この名護屋城こそは秀吉が朝鮮出兵の拠点として建設した当時日本最大級の巨城である。この巨城には連続外枡形などの当時最先端の仕掛けが施してあり、城下町も形成されて人口は20~30万人にも及んだという。さらに半径3キロ圏内に各地の大名を集め、その陣は150にも及んだという。これらは陣と言っても間に合わせのものでなく、長期滞在を想定…
定番の(?)異界魔界ツアーで必ず訪れる耳塚だが、 この日は思わぬ団体が二組参拝していた。観光バスで来た僧侶の一団。般若心経を唱えていたから 浄土真宗系ではなさそうである? 静岡県のお坊さんの人権研修である。相前後して韓国からの修学旅行生の一団。 ガイドが説明をしていたが、韓国語は全く分からないにもかかわらず、 トヨトミヒデヨシだけは良く分かった(2,3回聞こえてきた)。 中には入れなかったが、リーダーの合図で一斉に黙祷していた。