淀殿

(一般)
よどどの

戦国時代〜江戸時代初期の女性(1569年?〜1615年)。
名は茶々。呼称は、淀の女房・二の丸殿・西の丸殿、等々で、いずれも居所に拠ったもの。
現在は「淀殿」と呼び習わすのが一般的*1


浅井長政の長女で、母はお市の方。
「浅井三姉妹」の長女として知られる。次女の常高院(初)は京極高次正室、三女の崇源院(江)は徳川秀忠正室。


豊臣秀吉の妻*2となり、鶴松と豊臣秀頼(拾)を産んだ*3
慶長二十年(1615)、大坂夏の陣に敗れ、大坂城山里曲輪にて秀頼とともに自害。

*1:当時の記録で「淀殿」とするものは見つかっていない。

*2:側室とするのが一般的だが、正妻であったとする新説が呈示された。(福田千鶴『淀殿:われ太閤の妻となりて (ミネルヴァ日本評伝選)』)

*3:秀吉には他にも数多の妻妾がいるにもかかわらず、子をなしたのが淀殿のみであったことから、淀殿が他の男と密通したのではないか、という俗説が巷間に伝わる。相手とされる人物は、石田三成・大野治長・名古屋山三郎など様々。

このタグの解説についてこの解説文は、すでに終了したサービス「はてなキーワード」内で有志のユーザーが作成・編集した内容に基づいています。その正確性や網羅性をはてなが保証するものではありません。問題のある記述を発見した場合には、お問い合わせフォームよりご連絡ください。

関連ブログ