江戸幕府,第2代将軍 徳川家康の三男。
兄の松平信康・結城秀康や弟の忠吉と比べ戦下手であったと伝えられ、関が原の戦いでは30000の軍勢を引き連れながら、真田氏が篭る兵力2000の上田城を攻略できず、本戦に参加できず、大阪の陣では早く戦場に着くことに執心し、強行軍で兵を移動させたため、兵がことごとく疲弊し、家康に叱責されている。
今回は、東京都千代田区の水道橋駅近くにある「三崎稲荷神社」(みさきいなりじんじゃ)に行ったので、そのレポートを書きたいと思います。 三崎稲荷神社の特徴 三崎稲荷神社の御朱印 御朱印マトリクス 見どころ:2.0点/10点満点中 ※個人的な意見 歴史:1166年ごろ (創建されたとされる年は不明) 三崎稲荷神社マトリクス 比較しやすいようにマトリクスを作ってみたよ あくまでもこのブログとしての見解だからね 三崎稲荷神社の特徴 三崎稲荷神社の特徴 水道橋駅近くにある小さな神社です。徳川三代将軍家光も崇敬したと言われています。
<刀 無銘:義弘(名物:五月雨江)> ・南北朝時代 ・郷義弘 作 ・重文指定日 1939.05.27 ・徳川美術館 所蔵 ・享保名物帳 記載 越中国の郷義弘によって極められた刀で 五月雨の時期に本阿弥家にて極められたためこの名がついた。 本阿弥家より取り出され、義弘によって極め直された本刀を黒田長政が買い求めた。 1629.03.10に長政が死去しその遺物として、徳川家2代目将軍・秀忠に献上された。 1629.04.23に加賀の前田光高が3代目将軍・家光に元服した際に秀忠より拝領した。 1639.12.25に家光の養女・阿知姫が光高に輿入れした際、光高の父・利常より家光へ献上された。 1939…
<短刀 銘:左 筑州住(号:聚楽・太閤左文字)> ・南北朝時代 ・左(筑州住左)作 ・重美認定日 1933.07.25 ・重文指定日 1934.01.30 ・国宝指定日 1952.11.22 ・ふくやま美術館 所蔵 相州正宗十哲の1人、左文字によって打たれた短刀で 昭和後期より豊臣秀吉の蔵刀である太閤御物であったためこの名がついた。 秀吉より、徳川家康に贈られ、子・秀忠が差料としていたが、 その後、浜松藩井上正就へ下賜され、井上家に伝来した。 1929年(昭和4年)頃に行われた井上家の入札にて長尾よね氏の所有となった。 戦後の長尾家の没落に伴い手放された本刀を青山孝吉氏が買い取り 1969年以…
本日のくるみさん。 買い物から帰って来たら、日当たりのいい所で熟睡してました。 買い物に出たついでに、運動も兼ね「豊染英(とよそめはなぶさ)神社」に参拝してきました。・・・帰りに予期せぬ事が起こりましたが・・・ 買い物をするスーパーに隣接する市の施設に車を置き、歩数を稼ぐため少し遠回りをしながらやっと到着しました。 市街地から坂を上った台地の上にあります。 戦国時代「関ヶ原の戦い」の時、中山道を進む「徳川秀忠」率いる3万の別動隊と「真田昌幸」が戦った「第二次上田合戦」があります。 その際、上田城攻めを行うため秀忠軍が陣をはったとされる場所に、この神社はあります。 この戦いで足止めされた秀忠軍は…
<刀 無銘:相州廣光(名物:大倶利伽羅廣光)> ・南北朝時代 ・相州廣光 作 ・重美認定日 1934.12.20 ・法人所蔵(大阪府茨木市) ・享保名物帳 大磨上無銘だが、相州廣光が打った太刀。 表に大きな倶利伽羅竜が彫られているために名付けられた。 1620.11.21に徳川将軍2代目秀忠より、伊達政宗の子・美作守忠宗に下賜された。 それ以前の来歴は不明だが、以降、戦後まで伊達家に伝来した。 伊達家の「剣槍秘録」では春の3号として記録されている。 1884年8月に仙台から東京に移された。 1929年3月・日本名宝展覧会に伊達興宗伯爵名義で出品された。 1961年の「正宗とその一門」では飯村嘉…
包丁藤四郎は名物の刀と、重要美術品に認定されている刀の2本存在する。 <短刀 銘:吉光(名物:包丁藤四郎)> ・鎌倉時代 ・粟田口藤四郎吉光 ・享保名物帳(焼失の部) 江州多賀城主・多賀豊後守高忠は京都所司代として令名のあった人だが、 料理にも精通しており、忠高に恥をかかせようとした人物が 鶴の首に鉄棒を仕込んでいたが、それを察した忠高は腰に差していた本刀で 鶴の首を鉄の棒ごと断ち切ったという逸話からこの名が付いた。 その後、堺の商人が所持していたのを鳥養宗慶が買い取り、 子息の与兵衛宗精に伝わった。 それを豊臣秀吉が召し上げ、上杉景勝に拝領された後、 景勝より徳川将軍・秀忠に献上された。 そ…
<太刀 銘:三条(名物:三日月宗近)> ・平安時代 11-12世紀 ・三条宗近作 ・重文指定日 1933.01.23 ・国宝指定日 1951.06.09 ・東京国立博物館 所蔵 天下五剣の1つに数えられその中で最も美しいといわれる。 <名前の由来> 刀身に三日月形の打ち除けと呼ばれる刃紋があるのが名の由来。 <来歴> 豊臣秀吉の正室・高台院が所持し、その後遺品として 1624年に徳川秀忠に贈られ、戦後まで徳川将軍家で重宝として伝来した。 その後、鳴狐や亀甲貞宗を所持していた渡邊誠一郎氏にわたり 1992年に東京国立博物館に寄贈された。 高台院以前の来歴は、足利家、三好政康、秀吉と諸説あるが、 …
・1496年(明応5年) 本願寺八世蓮如 大坂坊舎建立 当時、大きな力を持っていた浄土真宗本願寺派の蓮如が、上町台地の北の端に大坂坊舎を建て、そこが本願寺派の一大拠点(石山本願寺)となった。この地は、交通の便が良い・乾燥した台地・守り易い地形・商業都市堺に近い など、優れた点を多く持つ。 織田信長もこの地を何としても手に入れたいと考え、石山本願寺に戦いを挑んだ。 ・1580年(天正8年) 本願寺派が退去 織田信長との10年にわたる石山合戦に敗れ、織田信長に明け渡すが、織田信長も石山本願寺跡に城を築く前に、1582年に本能寺の変でこの世を去る。 ・1583年(天正11年)~1587年(天正15年…
幕末の京都、新選組や会津藩兵が駆け抜けた、春日上通りを東に突き当たり、京都守護職会津藩本陣「紫雲山・金戒光明寺」。 山門に向かいます。 残念!、山門は大修復中。 平成25年秋竣工。 御影堂。 拝観料600円でお庭の公開中です。 1月に来た時には、徳川家二代将軍秀忠公の肖像画、織田信長「天下布武」の朱印状など、しかも無料公開でしたが、NHK大河ドラマ「江」の影響か、観光客バスが次から次への集客力で、拝観料600円だそうです。 「熊谷直実」鎧掛けの松。 こちらも「熊谷直実」ゆかり、「兜之池」。 こちらが「江」さんの供養塔。 「徳川秀忠」公 菩提の三重塔。本尊の文殊菩薩と脇士の像は運慶の作で、日本三…
出典:大河ドラマ「葵 徳川三代」 | NHKドラマ 大河ドラマ『葵 徳川三代 第36回 和姫入内』で、徳川頼房役の大柴邦彦さんが焼肉屋を経営しているという噂があるので詳しく紹介しましょう。
出典:大河ドラマ「葵 徳川三代」 | NHKドラマ 大河ドラマ『葵 徳川三代 第35回 竹千代の屈折』では、竹千代(徳川家光)がトンデモないバカ殿だったので詳しく紹介しましょう。
(2021年3月24日 アルツハイマー型認知症の診断から約14年1ヶ月) 今回は完全なる番外編です。 *会期初日にGO❗️ 私が東京国立博物館の平成館で『鳥獣戯画』の展覧会がある事を知ったのは、会期の始まる1週間前でした。 最近、いかにこの手の情報に疎くなってなっていたことか。(°▽°) 早速、娘のアズキに打診してみると、二つ返事で「行くっ」とな。 彼女の平日休みのスケジュールを勘案しますと、「初日しかないじゃん」となり、 速攻でネット予約をしました。 「おや?昨年夏の着物展を予約した時と勝手が違うな…。」 今回は「アソビュー!」という会社が代行していて、その会員登録やらありました…。 一度は…
出典:大河ドラマ「葵 徳川三代」 | NHKドラマ 大河ドラマ『葵 徳川三代 第34回 御落胤』では、宗義成(演:宮本武弥)が国書を改ざんしてしまうので、その内容や第34回のストーリーなどについて紹介しましょう。
出典:大河ドラマ「葵 徳川三代」 | NHKドラマ 大河ドラマ『葵 徳川三代 第33回 東照大権現』では、金地院崇伝(演:大河内浩)や本多正純(演:渡辺いっけい)たちが世渡り下手だったので詳しく紹介しましょう。
出典:大河ドラマ「葵 徳川三代」 | NHKドラマ 大河ドラマ『葵 徳川三代 第32回 家康の死』では、松平忠輝が家康から許されなかった本当の理由は素行の悪さではなかったので、詳しく紹介しましょう。
案内板 「 中山道 本山宿 和銅五年(713)に開通した吉蘇路 において、本山は木曽谷から松本へ向かう重要な位置にあった。中世には東山頂に本山城が築かれ、ふもとに本山氏の館(本陣付近)や根小屋から宿場の原型となる集落が形成されていった。 関ヶ原の戦では、徳川秀忠 軍が開戦当日の慶長五年九月十四日に本山に着陣していた。 中山道 が制定された慶長七年(1602)、幕府代官頭大久保長安 は江戸の大普請の号令のもと、木曽の木材を搬出するため、江戸への近道として小野新道 をひらいた。これは桜沢から牛首峠をへて小野、岡谷・下諏訪へ至る道である。慶長十八年に長安の死後大久保事件の連座により、松本藩主石川康長…
出典:大河ドラマ「葵 徳川三代」 | NHKドラマ 大河ドラマ『葵 徳川三代 第31回 忠輝勘当』では、徳川家康が国家にとって必要なものが3つあると考えていたので、詳しく紹介しましょう。
加賀藩前田家の支藩3代前田利常が隠居の際、幕府に願い出て認められた藩になります。 藩祖は、前田利治(松平飛騨守)となる。母が徳川秀忠の娘珠姫になる。当初7万石から始まり後10万石になる。こちらも本家からの借地で、5762坪になる上屋敷です(母が将軍の娘となると簡単に支藩も許されるのですね) 大聖寺藩上屋敷跡(東京大学附属病院の一角) 5762坪 大聖寺藩中屋敷跡 4641坪閑静な住宅地になってました。 文京区池之端2丁目 大半は住宅街になってますが僅かに庭園らしい須藤公園が残ってます。 休日は子供達が和んでいます。カッパが住んでるという伝説もあります。 人口の滝など大名屋敷の庭園を思わせます。…
宮本武蔵全一冊合本版 (吉川英治歴史時代文庫) 作者:吉川英治 発売日: 2013/06/28 メディア: Kindle版 ◆二天の巻 「二天の巻」、まるで新聞の連載を読むかのようなペースで読んでいたので、読了までに相当の時間がかかってしまった。それでも、その時、その時のシーンに瞬時に入り込めるよい小説である。 前巻では、一乗寺の決闘を終えた武蔵、そしてお通、城太郎がともに江戸に向かって旅立った。しかし、又八がお通をかっさらう事件が起こり、3人はそれぞれバラバラになってしまう。武蔵は途中、三沢伊織という少年を弟子にし、伊織を伴って江戸へ向かう。細川忠利のもとへ、2人の家臣がそれぞれに人物を推挙…
前日夜10時前に目覚ましもかけずにばたんきゅ~して、起きたのは翌朝早すぎる4時。 ならば、と朝風呂♪ 当然ながら貸し切り状態、たったひとりで大浴場独り占め(^▽^)♪ だらだら時間を費やしたあと、7時からお宿の朝食バイキングをたっぷり食べて♪ 部屋に戻って窓を開けると、空は晴れてますが夜のうちに雨が降ったようで路面が濡れています。 山々を見やるとその雨の名残か、峰が雲で隠れちゃってます。 朝一番で松本城に行こうと思ってたんですが、天守閣のバックに雪をかぶった山並みがみえる、そんな写真が撮りたいと思い、松本城は後回しにして予定していたルートを逆回りすることにしました。 この日も日中は晴れ予報なの…
出典:大河ドラマ「葵 徳川三代」 | NHKドラマ 大河ドラマ『葵 徳川三代 第30回 大坂城炎上』では、徳川秀忠が娘の千姫に自害するように言いますが、自害を進めたのは深い理由があったので詳しく紹介しましょう。
加賀前田家の支藩として3代前田利常が隠居の時幕府に願い出て認められた藩になります。 利常の次男利次(松平大蔵大輔)が藩祖になり10万石の藩主になりました。(母は徳川秀忠の娘珠姫)敷地は幕府からでは無く本藩からの借地になり11088坪あります。2代藩主正甫(まさとし)が薬売りを始め財政を潤したといういきさつがあります。 江戸時代の地図になります 現代の地図になります。 奥の建て物が富山藩になります。 文京区本郷7丁目(東京大学附属病院) 富山藩上屋敷10088坪 もはや中屋敷の跡はなく住宅街になってます 富山藩中屋敷跡 敷地1475坪アクセスは文京区池ノ端2丁目 富山藩下屋敷跡 台東区北上野2丁…
出典:大河ドラマ「葵 徳川三代」 | NHKドラマ 大河ドラマ『葵 徳川三代 第29回 大坂夏の陣』では、徳川秀忠と木村重成が関ヶ原について口論するので、詳しく紹介しましょう。
こんにちはわわわー (。^ε ^。)ノ 過ごしやすい季節になってきたし 4月ということもあるから お部屋の模様替えでもして気分をリフレッシュしようかなと思案中の のろしもく! でも お昼寝が気持ちいい~ 季節でもあるのよね~ な♪ の♪ で♪ 今日のところは (˘ε˘ 人 スヤー zzz もく♪ さて 戦国IXA では 4 月 の 追加武将 が 公開されました もく 追加されるのは 【 極 】 陶晴賢さん 小西行長さん 佐竹義重さん 阿茶局さん 【 特 】 結城晴朝さん 伊東マンショさん 徳川義直さん 【 上 】 都築秀綱さん 【 序 】 皆川広照さん 以上の 9 名と さらに 【 天 】 織…