【 浅井畷古戦場 】 所在地: 小松市大領町つ137 慶長5年(1600)、会津の上杉景勝討伐に向かった徳川家康に対して、石田三成 らが挙兵し関ケ原の戦いが勃発する。 加賀の前田利長は生母・芳春院(まつ)を江戸に人質に出していた経緯もあり、東軍 に与するが、西軍の大谷刑部吉継の調略によって越前北之庄城主・青木一矩、加賀小松 城主・丹羽長重、加賀大聖寺城主・山口宗永を始めとする北陸の諸将は西軍に与するこ ととなる。 この動きに危機感を覚えた利長は加賀南部や越前を制圧すべく、7月26日、25,0 00の兵を率いて金沢から出陣🏇 8月1日には丹羽長重率いる3,000の兵が籠る小松城を包囲した。しかし…