江戸時代初めの1615年旧暦5月23日に 大坂夏の陣で命を絶った豊臣秀頼(享年23)の 嫡子・国松(8才)が 京都河原で首をはねられました!! 高校などの日本史の教科書には、「大坂夏の陣で豊臣秀吉の子供・秀頼が死亡し豊臣家が滅ぶ」との記述が見られますが、この秀頼には子供達がいました。 しかもその1人は男子なので豊臣家の嫡子にあたります。 (豊臣を根絶やしにしろ!!) 5月8日、大坂夏の陣で豊臣秀頼が死亡します。 そのあと、徳川方は豊臣方の残党狩りを行っていました。 もし秀頼が妾に産ませた子供がいたら、生き延びて成長して「親の仇!!」と反乱を 起こすのは目に見えていますし、秀吉の血を受け継ぐ者と…