茶人 幼名:与四郎 正親町天皇より千姓を許されて、千宗易を名乗る。 天正13年、禁中小御所での茶会にて天皇に茶を献じ、利休居士の号を贈られ千利休となる。 珠光、紹鴎に学び草庵の侘び茶を大成、 天下一の茶道名人として全国にその名を馳せる。
天正19年2月28日、秀吉の命により切腹 辞世 「人世七十 力圍希咄 吾這宝剣 祖仏と共に殺す 堤ぐる我が得具足の1つ太刀 今この時ぞ天に抛」
昭和60年ごろ、大学の学生研究室で後輩のハチヤ君とお茶を飲んで話していた。 ハ「う~ん・・・涼しくなってくると、 やっぱり温かい緑茶っていいですよねぇ・・・」 私「そうだね、だけどまぁ・・・ お茶がいいっていうことになるのも、それだけ若くなくなってきた ってことかもね?」 ハ「はは・・・そんなこと言ったら身も蓋もないじゃないですか? あ、そうだ思いだした。 先々週の日曜日、京都大徳寺で『曝凉展』があったのを知ってます?」 私「ばくりょう・・てん?・・・ なにそれ・・・爆発でもする地点のこと?」 ハ「ちがいますよぉ・・・もぉ・・・ 涼しい空気に曝すっていう意味で・・・こう書くんですよ。 ま、簡単…
茶道、または日本の伝統的な「茶の湯」は、単なるお茶を飲む行為を超えた深い文化的意義を持つ芸術形式です。 このブログ記事では、茶道の歴史的起源、精神的背景、そしてその美学的な道具について掘り下げていきます。 茶道の起源:茶の湯の始まりと発展 茶道の起源は、中国から日本へと茶が伝わった奈良時代まで遡ることができますが、今日私たちが知る形の茶道が確立されたのは室町時代に入ってからです。 特に、禅宗の僧侶たちによって茶の文化が取り入れられ、精神性と瞑想の一環として発展しました。 その後、千利休によってさらに形式と哲学が洗練され、侘び寂びという美意識とともに、日本独自の文化として確立しました。 茶道の精…
平安末期から鎌倉初期の歌人藤原定家が、古来の歌人の歌を一首ずつ色紙形に書いたもの。名称は京都小倉山の山荘の障子に貼ったという伝承にちなむ。戦国期の武野紹鴎が茶の湯に用いて以降、床の掛物として珍重された。 嵯峨中院の障子の色紙形 武野紹鴎と藤原定家 千利休への継承 定家色紙の歌 定家の「悪筆」 参考文献 嵯峨中院の障子の色紙形 藤原定家の日記『明月記』文暦二年(1234)五月二十七日条に、色紙作成の依頼があったことがみえる。 予、本より文字を書く事を知らず、嵯峨中院の障子の色紙形、ことさらに予書くべきの由、彼の入道懇切なり、極めて見苦しき事といへども、なまじひに筆を染めて之を送る、古来の人の歌お…
★★★★☆ あらすじ 織田信長に引き続き豊臣秀吉の側近となった茶人・千利休だったが、次第に秀吉との間に溝が生じ始める。135分。 www.youtube.com 感想 千利休と豊臣秀吉の変化していく関係を描いた物語だ。まず衣装や茶室のセット、小道具などが見事でそれだけで見ごたえがある。なんでもわざわざ美術館から借りてきた本物の茶器などを使って撮影したらしい。 国宝・重文の茶室 作者:中村 昌生 世界文化社 Amazon まだ信長が存命で、秀吉が天下人になる前から物語は始まる。最初から利休は秀吉を「こいつセンスねーな」と呆れ、秀吉は利休を「こいつすごいな」と感心している。だが両者ともそれを胸の内…
日本文化の三道の中のひとつが『茶道』。みなさんは『茶道』をなんて読みますか?「さどう」それとも「ちゃどう」ですか。実はどちらも正解なのです。表千家では「さどう」といい、裏千家では「ちゃどう」といいます。武者小路ではどっちでもいいそうです。私がこのことを知ったのは中学生の時です。同級生のモブ女子『茶道』を「ちゃどう」と言っていて「”さどう”でしょ」と誰かに指摘されたところ「裏千家では”ちゃどう”っていうんだよ」と教えてくれました。実はそのモブ女子のお母さんがお茶の先生で彼女の家は『茶道教室』だったのです。私もそれまではずっと「さどう」だと思っていたので目から鱗でした。それから彼女は【裏千家さん】…
一条真也です。たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「道」です。 『礼道の「かたち」』(PHP研究所) 日本人は「道」が好きです。茶道に華道、書道に歌道、剣道や柔道といった武道はもちろん、双葉山は相撲道を、松下幸之助は経営道を提唱しました。父である当社の名誉会長は、礼法を礼道に高めたいという志を持っています。「道」の反対語を『反対語辞典』でひくと「路地」とあります。路地とは行き止まるものであり、道は終わりなきものなのです。 「道」はもともと…
一条真也です。たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「会」です。 わが社は接客サービス業ですが、お客様と接する瞬間の重要性を社員に説くとき、「一期一会」という言葉をよく使います。一期一会とはもともと、茶人としても知られた井伊直弼が好んで行なった茶道の心得です。すなわち、一生涯にただ一度会うことかも知れぬという心情で、風炉の前に主客端座する。そのとき、今生においてこれ限りかも知れぬ、人命というものは朝露の如きものです。 朝会って、夕べは計るこ…
古備前壺 古備前種壺 古備前波状文壺 みなさんこんにちわ。古陶磁鑑定美術館です。 室町時代から安土桃山時代の古備前焼は、当時大流行していた茶の湯の道具として、千利休や豊臣秀吉らの茶人から好んで使用されてきました。 それらの茶陶は、一つで国が買えてしまうほど高価な名品もあったため、現在でも非常に高く評価されています。 www.youtube.com そんな中で、国内の焼き物で最も使われていたのが【備前焼】なのです。 その本当の姿に古陶磁鑑定美術館が迫りました!動画でご覧ください!
レオン氏郷 安部龍太郎/著価格: 1155 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 南近江の名門六角家に仕える蒲生家は、織田信長から上洛に際しての協力を呼びかけられる。主君の六角承禎は反発するが、蒲生家の嫡男鶴千代は岐阜で織田信長を直接見て、信長に臣従することを決意する。 自ら人質となった鶴千代に対して信長が理由を問うと、信長は世界を見て戦をしていると答える。生意気な物言いに怒る信長に対しても堂々とした鶴千代を見て、信長は一転自分の太刀持ちに採用する。信長の間近に仕えることで、鶴千代は信長の考えや戦場でのかけひき、武将との関係を知ることになる。 鶴千代は14歳になると元服して、信長の職名、弾正忠から…
晴明神社がある場所の近くに千利休の屋敷があった 豊臣秀吉が京都の邸宅として1586年から造営を始めた聚楽第、その北東角辺りに千利休の屋敷も建設された。ここは、秀吉の逆鱗に触れた千利休が1591年に切腹した場所らしい。この物語は山本兼一さんが「利休にたずねよ」に書いている。 利休にたずねよ (PHP文芸文庫) 作者:山本兼一 PHP研究所 Amazon この屋敷は、陰陽師安倍晴明を祀る晴明神社の隣にあったようで、晴明神社の二の鳥居横には「千利休居土聚楽屋敷 趾」と刻まれた石碑が建っている。 因みに、秀吉は1591年に甥の秀次を関白に就任させ、聚楽第も秀次に譲ったが、秀頼が1593年に生まれると、…
展覧会『沢田英男彫刻展「かたわらにⅡ」』を鑑賞しての備忘録日本橋髙島屋本館6階美術画廊Xにて、2024年12月4日~23日。 楠材や檜材を削ぎ落とすように彫ることで人の佇まいを象る、沢田英男の個展。 一部に坐像や胸像、腕だけを表わしたものや動物を象ったものもあるが、大部分は人物の立ち姿を表現した作品が占める。鼻の隆起など最小限で表わした頭部と、胸・背・腰を凹凸や彎曲で彫り出すも腕や脚は暗示する程度に留める胴部から成る。左右どちらかに重心を置いたもの、前傾姿勢のもの、S字で表わされたもの、首を傾げたものなど、ほとんどがアシンメトリーである。年輪の波紋を活かしつつ、衣装を彩色したものもある。異様に…
お札、皆の約束で紙切れに印刷したものに価値を持たせていますが、よくよく考えてみるに不思議なものです。 先日スーパーのセルフ会計でお札を機械に入れている人を見かけた時に、ふと、あんな紙切れに価値を認め合っている人間もおかしな生き物だなあと思ったものでした。 世の中、そんな紙切れのために人を殺めたり、だましたりも横行。 遊ぶ金が欲しかったとか、ギャンブルで借金があったとか、犯行の目的は金。 悪さをして手に入れた紙切れで結局高級車や高級時計を買い漁る、貧しいとしか思えませぬ。 同じように、宝石の類もまあ、おおざっぱに考えると石ころなんですが、貴石と認める希少なものにどえらい価格がついています。 その…
キッチン棚 妻と同棲を始めてそれぞれの家から持ってきた家具を組み合わせて使っていたが、全て捨てて大きく機能的な棚を買うことにした。ピッタリおそまり快適になった。数年不便さがあってほったらかしていたが必要なものはさっさと買った方が良かった。 もふもふしたスリッパ 冬が寒いので、家に帰ってすぐに履けるものが欲しかった。靴下でも良かったかもしれないが、スリッパにした。 ペッパーミル ブラックペッパーをかける直前に砕くためのあれ。香りが良いことは確かだが、挽くこと自体を好き。コーヒーミルも好き。 クリーマーキュート コーヒーに入れる牛乳を泡立てるやつ。買った直後にカフェインのとりすぎな気がしてコーヒー…
ランキング参加中国内旅行 「京の冬の旅」とは、京都で毎年行われる非公開文化財の特別公開イベント。59回目を迎える「京の冬の旅」は「世界遺産登録30周年」と「洛陽三十三所観音霊場再興20周年」をテーマに開催。今回の特別公開の開催情報と見どころを紹介します。 慈照寺(銀閣寺)本堂・弄清亭 建仁寺 西来院 清水寺 随求堂 仁和寺 経蔵・五重塔 天龍寺 祥雲閣・甘雨亭 相国寺 光源院 鹿苑寺(金閣寺) 方丈 平等寺(因幡堂) 地蔵院(椿寺) 東本願寺 宮御殿・桜下亭 東寺 五重塔 醍醐寺 三宝院 龍安寺 仏殿・西の庭 慈照寺(銀閣寺)本堂・弄清亭 本堂は「書院造」の美しい建築様式で、室町時代の文化を感…
以上、日本テレビ・土ドラ9「GO HOME 警視庁身元不明人相談室 第2話」(2024.07.20:菅原伸太郎)より きょう12月21日は、片岡鶴太郎さんの誕生日です。1954年生まれの70歳になりました。おめでとうございます。東京都荒川区西日暮里出身。東京都立竹台高等学校卒業。太田プロダクション所属。 片岡鶴太郎さんの映画最近作は、 2020.07.31『海辺の映画館 キネマの玉手箱』(2020:大林宣彦)、 2023.08.04『カタオモイ』(2023:いまおかしんじ)、 2023.08.25『春に散る』(2023:瀬々敬久)、 です。 『海辺の映画館 キネマの玉手箱』では千利休に扮してい…
*Amazonより 明智光秀が詠んだ「時は今 雨がしたたる 五月かな」で有名な連歌の発句。ここから複数の人間がおよそ100首読みつないでいくが、この発句を独立させて俳諧となった。とは言え当初は言葉遊びの域を出ず、大坂では同世代の井原西鶴が一昼夜で2万3,500句を詠む記録を生み出すが、内容ではなく数だけが取り上げられるのみ。これを松尾芭蕉は「芸術」に高めた。 「野ざらしを心に風のしむ身哉」 伊賀国から江戸に出て俳諧の道を歩んでいた芭蕉は、井原西鶴が2万3,500句を詠んだ翌年、40歳で標記の句を詠んで「野ざらし紀行」と名付けた旅にでる。野ざらしとは「しゃれこうべ」のことで、金銭的にも余裕のない…
友人と小田原の「江之浦リトリート凛門(りもん)」にやってきた日のおまけ。 「明日はどうしようか」「小田原って何あるだっけ」「小田原って言ったら小田原城とかまぼこじゃない」なんて話しながらやってきた。特に決めていたわけではないけれど、なんとなく小田原城にでも行こうかな・・くらいに思っていた私たち。 すると宿から迎えに来てくれた方が「この辺りは山なのですが、常緑樹が多くて紅葉はあまりないんですよ。でもこの辺り一帯柑橘畑なので明日の朝明るくなったら黄色やオレンジで綺麗ですよ」と教えてくれた。 小田原でみかんとは、知らなかった。確かにちょっと行ったら熱海だし、宿の名前もレモンっぽいし(凛門)。かまぼこ…
日本国宝展の第1部はニッポンの国宝と題して、美の歴史をたどって6つのカテゴリーに分けて展示する。第1章は日本美術の巨匠たちと題して、雪舟を始め日本美術史に欠かせない作家たちが並ぶ。 大徳寺内にある聚光院は織田信長が天下を取る前の権力者であった三好長慶の墓がある。また、茶聖として知られる千利休の墓もある。権力に近い人々の菩提寺として相応しい襖絵を狩野家に発注、永徳と松栄が46面を作り上げた内の永徳作4面を展示する。 期間:ⅠⅡⅢ レア ★★☆観たい ★☆☆コラボ ★☆☆ tsumugu.yomiuri.co.jp
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 日本の茶の文化は、日本独自の民族文化であり、中国や朝鮮の茶の文化とは違う。 ・ ・ ・ 2024年12月16日 YAHOO!JAPANニュース 日本茶ナビゲーター Tomoko「海外から見た日本茶の魅力とは?北米では健康志向、ヨーロッパでは茶の文化面が注目され広がりを見せている 「日本茶AWARD2024」イベント会場で茶葉を熱心に選ぶ方々 ここ近年、日本茶の魅力が海外にもどんどん広がっているように感じます。 実際に11月に開催された日本茶の品評会「日本茶AWARD」のイベント「T…
大乗仏教における「空性・真如・仏性」を芸術的に受け止めたのが日本の茶道ではないかと思います。この道は茶人千利休(1522-1591)とその師の武野紹鷗(1502-1555)によって大成されます。禅を学んだ紹鷗は茶室に飾る高価な置物や道具よりも人間の心を重視し、新しい道を開拓して、これを「わび茶」と呼びました。紹鷗はわび茶のこころを人から問われた際にいつも藤原定家(1162-1241)の次の一首を示した言われています。紹鷗は華美を去り、人工を加えぬ自然の姿に茶の理想を求めたようです。 見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮 藤原定家 浦の苫屋(うらのとまや)とは静かな浦(入江)の…
Book Review 35-6 仕事 #五葉のまつり 『#五葉のまつり』(今村翔吾著)を読んでみた。著者は『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』でデビュー。同作で歴史時代作家クラブ賞・文庫書き下ろし新人賞を受賞。『八本目の槍』で吉川英治文学新人賞、『じんかん』で山田風太郎賞、『羽州ぼろ鳶組』シリーズで吉川英治文庫賞、2022年『塞王の楯』で直木賞を受賞。 本書は時代小説であるが、仕事カテゴリに分類した。歴史の教科書ではただの一言で終わり兼ねない出来事(豊臣秀吉が仕掛けた公私に亘る大事業の裏側)を一事業に100ページ使って語っている。五つの出来事(北野大茶会、刀狩り、太閤検地、瓜畑遊び、醍醐の花見)に、個性…
昨日の続きです。 千利休と与謝野晶子の業績や生前の姿に触れることができる「さかい利晶の杜」。 ゆっくり全館を見学するのには、大体2時間位かかるでしょうか。 堺の街の歴史もたどることができて、大変楽しく学ぶことができました。 さて、いよいよ「おいしかったもの」のお話です。 堺に行ったらこれを食べるべしと、何度か話には聞いていましたが、今回実行することにしました。 その名も『深清鮓』(ふかせずし) いや、「すし」にもいろいろな字がありますね。 鮨・寿司・鮓・鮨酢 (これはiPhoneで引っ張り出してきたものですけど) このお寿司屋さんはお持ち帰り専門店で、お店で食べることはできません。 何しろその…
12/1 本日は残りの観光をして秋田に帰る。 ゲストハウスを出て街を散策。会津の街はとても美しい。 最初に行ったのは、 鶴ヶ城 https://maps.app.goo.gl/EFyZCQuhAakACnnYA?g_st=com.google.maps.preview.copy 最初は会津市内の観光地を効率よく走る「まちなか周遊バス」 www.aizubus.com こちらを使おうとしたのだが、始発の時間よりも早く宿を出てしまったので暇を持て余す。暇なら歩くか!!!という精神を発揮してしまい、雨の中歩くことに。 バス停の近くにある野口英世カフェ 雨の中ひたすら30分くらい歩いたのだが結構大変だ…
庭の仕事をしていた千利休の使用人の名前とか、豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍して持ち帰った人の名前だとか言われる「侘助」…… 今朝も横から呼んでいた。 下を向くと、ツツジの上に散っていた。儚げに戯れた景色が私を立ち止ませる。 明日までの命かもしれない。ちなみに、第13回・鎌倉観光文化検定試験<2級>にこんな問題があった。(25)次のうち、ツバキの名花「太郎庵」、「侘助」が植えられている寺院の組み合わせとして正しいものはどれか。1 覚園寺「太郎庵」、英勝寺「侘助」2 覚園寺「侘助」、英勝寺「太郎庵」3 大巧寺「太郎庵」、宝戒寺「侘助」4 宝戒寺「侘助」、大巧寺「太郎庵」※正解は「1」かもしれない。 今日…
京都の紅葉は例年に比べて少し遅めに見ごろとなっていた。紅葉を狩りながら、相国寺承天閣美術館を訪れた。禅寺の茶の湯と題した展示会で、久しぶりに国宝の玳玻散花文天目茶碗を見た。 相国寺といば動植綵絵の元の所有者で近年は若冲推し。展示会も大盛況となっている。臨済宗相国寺派には金閣寺と銀閣寺が所属していることもあり、数多くの美術品が揃っている。それらを展示するスペースとして相国寺内に出来たのが承天閣美術館で開館40周年記念として各地へ巡回展を開催している。もちろん、若冲など推しの絵画が惜しげもなくお出かけしている。 その間隙を縫って茶道具の展示会を開催している。相国寺派は東山文化の王道的な寺院群である…