朝鮮通信使は、李氏朝鮮が日本へ向けて派遣した使節団の事。
豊臣秀吉による朝鮮出兵(⇒文禄・慶長の役)によって途絶えてしまった日朝間の国交を回復するべく、江戸幕府が李氏朝鮮に打診して、これを実現させた。
慶長12(1607)年に、対馬藩の仲介で通信使が実現し、以後は将軍の就任や目出度い事がある度に、李氏朝鮮から派遣された。
回数 | 西暦 | 将軍 | 朝鮮正使 | 派遣目的 |
1回目 | 1607 | 徳川秀忠 | 呂祐吉 | 日朝間国交回復、捕虜の返還 |
2回目 | 1617 | 〃 | 呉允謙 | 豊臣家滅亡による国内平定の祝賀、捕虜の返還 |
3回目 | 1624 | 徳川家光 | 鄭�咼 | 将軍就任の祝賀、捕虜の返還 |
4回目 | 1636 | 〃 | 任絖 | - |
5回目 | 1643 | 〃 | 尹順之 | 家綱誕生の祝賀、日光東照宮完成の祝賀 |
6回目 | 1655 | 徳川家綱 | 趙珩 | 将軍就任の祝賀 |
7回目 | 1682 | 徳川綱吉 | 尹趾完 | 〃 |
8回目 | 1711 | 徳川家宣 | 趙泰億 | 〃 |
9回目 | 1719 | 徳川吉宗 | 洪致中 | 〃 |
10回目 | 1748 | 徳川家重 | 洪啓禧 | 〃 |
11回目 | 1764 | 徳川家治 | 趙曮 | 〃 |
12回目 | 1811 | 徳川家斉 | 金履喬 | 〃 |