正徳5年4月2日。飛騨守(渡辺定綱)の家督が相違なく源之助に組とともに下される。組の者は元々隼人正組であったが、謂れがあって飛騨守先祖に分け預けていた。組で替わるようなことがあれば源之助から隼人正へ頼み、相談するようにと。このことは隼人正へも言いつける旨、言いつけられる。南寺町栄教山随法寺の弟子吟道は、この春から煩い、その後地蔵の告げだと言って色々おかしなことを言っていた。時に突然倒れ、息を吐きながら告曰(こうあつ)告曰と言い、地蔵が乗り移ったと言ってはわけのわからないことを言っていた。かねてから先月24日に死ぬと人々に申し聞かせていたが、その日はいろいろとわけがあるので、4月2日と定めた。こ…