正徳5年5月13日。高木十右へ宝周寺を呼び、随宝寺の43になる岩清について申し渡される。少し前、岩清は不定なことを広めたとかで、上からの言いつけではなく、役所からの指図で指示で謹慎・逼塞となったと聞き及んでいる。格段なこともないので、前々の通り住職を勤めるようにと云々。中西不碩の小姓なので、方々に手を回し、奉行にも頼み込み、いろいろ人を使って無事に済ませる。師の性高院も少し前随宝寺が叱られた際に遠慮・引込となる。随宝寺は今月末願いにより隠居し、他国へ向かう。