正徳5年5月13日。高木十右へ宝周寺を呼び、随宝寺の43になる岩清について申し渡される。少し前、岩清は不定なことを広めたとかで、上からの言いつけではなく、役所からの指図で指示で謹慎・逼塞となったと聞き及んでいる。格段なこともないので、前々の通り住職を勤めるようにと云々。中西不碩の小姓なので、方々に手を回し、奉行にも頼み込み、いろいろ人を使って無事に済ませる。師の性高院も少し前随宝寺が叱られた際に遠慮・引込となる。随宝寺は今月末願いにより隠居し、他国へ向かう。
正徳4年1月25日。昨日夕暮れ頃、禅寺町西側浄土宗随宝寺の杉の木のうつぼ(靭、空洞のこと)から火が燃えだし、枝葉を焼いた。火事だと騒ぎになった。この日法事があったので供の者が煙草の吸がらでも入れてこの如く。