正徳1年8月20日。夕暮れ前、文左衛門は主馬葬礼のため東月院へ出かける。多くの人がが列をなす。いずれにも断りがあり、文左衛門なども帳に付けて帰る。戌(午後7時)頃、相応寺東月院へ棺が着く。右門と野呂瀬内記が馬と乗物で供をする。見物も多かった。戒名は至山院殿岬誉円道居士。
貞享2年9月19日。かぶき者の加川六弥を乾徳寺門前で捕らえ、牢に入れる。もう一人も牢に入る。この件で10月2日に正信院南寮・東月院寂善・証浄寺素門・永安寺末寺宗隆寺が共に追放となる。10月5日には牢に入っていたかぶき者二人が追放となる。