元禄7年9月3日。辰半(午前8時)過ぎ、文左衛門は松井十兵のところへ出かける。奥方は既に息絶えようとしており、文左衛門はこのことを忠兵のところへ行き、このことを伝える。忠兵を連れて再び十兵のところへ出かける。巳半(午前10時)過ぎのことであった。体力は既に尽きようとしており、御せう・御丹・妙善・意休・心斎・惣左・下女が取り囲み、念仏を唱えていた。悲しみの声が周りの人の心を痛める。午刻(午前11時)には死んだようであったが、今朝人参の薬の服していたのでかすかに息をしていた。時々唸り声をあげるようであった。御せう・御たのの悲しみは深く、息をのみ、涙を浮かべて病気になってからのことを話していた。一昨…