元禄7年9月4日。晴天。文左衛門は申半刻(午後4時)に十兵衛のところへ出かけると、坊主が沐浴しているとかで騒がしかった。文左衛門一人は手持無沙汰で、川澄只右衛門のところへと行く。日暮れ前に十兵のところへ出かける。そこから性高院へと出かける。酉の刻(午後5時)に棺を出して葬礼が行われる。文左衛門も焼香をすませる。土葬であった。戒名は心華台常安院到雲理清信女であった。文左衛門はまた十兵衛のところへ行き、茶漬飯を給わって家へと帰る。