正徳3年8月16日。昨夜丑(午前1時)頃、土田を輿が出発し、卯半(午前6時)に小牧へ入る。決められた時間があるのでここで待ち合わせ、味鋺でゆっくりと小休止をとる。未8刻(午後2時半過ぎ)、建中寺に入る。長柄、弩俵(旗印)、鉄砲、弓などは建中寺の西の辻、青山儀左衛門辻から別れ、寺へは向かわず。寺へは供の馬が1疋であった。白木の棺であった。性高院・高岳院が側に付き、棺の前で伽藍を焼き、跡から五十人新井伴左衛門が香炉を捧げる。御家老衆・年寄衆以下御用人衆などは皆白帷子で、その他にも白帷子を着る者が多かった。文左衛門は我慢ができず、棺を拝んでいく筋かの涙を流した。隼人正・飛騨守・周防守・肥前守・靭負・…