正徳4年4月15日。この日から年寄衆は御屋形へ出向かれ、日々評定所へも出向かれる。河村丹左衛門が承り、急いで通り道の廊下や休所などを修理した。出入りは裏門から行う。表門からの出入は一切なかった。たばこ所も出来上がる。全て御屋形の通り道であった。この日評定所へ出向くようにとの言ってきたのを、御屋形が日(ママ)のここへ移ったことを知らない者ばかりで訝ると云々。建中寺は特に仰天すると。近頃、相応寺・性高院・高岳院へ各金50両ずつが梅昌院様(徳川綱誠側室)から祠堂金として下される。去年は教順寺へ250両下された。