宝永6年4月9日。朝比奈宇右衛門のことは兵部宅で申し渡しがあり、知行・居屋敷は召し上げられ、5人扶持小普請となる。江戸より名古屋へやって来る。近頃、浪人高松半助という者は京で世話をしてくれる者があると、母と一緒に出かけたがるが分散(破産)してしまい、失望して半介は途中で身を投げて死んでしまう。母は名古屋に知る者がいると言ったので名古屋へ送って来た。旦那寺の巾下日蓮宗本立寺へ出かけ、身の不幸を語り、托鉢して回ると云々。坊主は憐れんで鳥目(銭)200文を取らせると、墓を詣でると出かけたが、懐中から用意した縄を取り出して木にかけて首をくくった。書置も銭も側に置いてあった。半介は元は六郎様の小姓であっ…