正徳3年1月22日。本多作内が江戸へ召される。2月7日に出発するはずである。猪股小平七父子が2、3日前に名古屋へ到着する。首尾がよくないと云々。法花寺町常徳寺はとても我儘この上なく、円光東漸を猿猴唐犬と嘲り、勅授した号を遠慮することなく悪口を言い、聞いた人は眉をひそめた。これは昨年冬の談義でのことであった。今年の正月2日から高熱を出し、「熱い、熱い、逆さに吊り上げられても我慢できない。」とわめき叫ぶのが本堂まで聞こえた。近頃、死期が迫る。御馬廻小頭朝倉喜兵衛が津田幽我のところへやって来て、谷助のことは25日過ぎに町奉行から申し来れば渡すようにと云々。27日に遣わし、詰問の上牢に入れて寝かせた。…