正徳4年12月6日。文左衛門は七七日の餅2斗3升を撞き、あちこちへ配る。寺へも大小49を遣わす。8日から10日までの法事中物静かにするよう廻文がある。上田伴右衛門の悉皆人猪股平右衛門はかなりの借金で手鎖となる。伴右が元方(金銭や物品の収納する役)の時に主人の入用と言って川方屋善右衛門のところで150両、兼山屋与一で200両、紙屋理兵衛で100両、桔梗屋七右衛門で50両、その他あちこちで併せて820両と云々。この内400両余りは伴右が借りたのを全て支配人(奉公人)の責任にし、13日の夜に伴右衛門控の山で首を切った。