正徳2年11月9日。作事などが許される。廻文が来る。成瀬藤大夫組神谷弥之右衛門と御馬廻杉浦能登路が立ち退く。能登路の書置には泥酔して脇差を落としたのは面目ないので立ち退くと云々。弥之右衛門の書置には一緒に行った者が脇差を落としたのを気づかなかったので立ち退くと云々。弥之右衛門弟は従弟岡本武左衛門のところへ引き取る。弟の実母は泰心院様から父弥五左衛門に下された女であった。出来町の御比丘尼衆にいわれがあった。先ずは引き取る。弥之右衛門屋敷は夜3人、昼2人に番をさせるように、そうでなければ何かあった際にには自分たちが責任を持つとの一札を出せと相組雨宮喜平次ともう一人に藤太が申される。能登路・弥之右衛…