享保2年12月28日。年頭の御礼廻文には7つ(午前4時)に登城と云々。小頭の添文には8つ(午前1時)頃に家を出て、8半(午前2時)までに頭に揃っているようにと云々。
享保2年11月5日。江戸に抱屋敷(私的に所有する屋敷)の有無を尋ねる廻文がくる。6日に元右のところへ持参する。覚。この度公儀から言いつけられた抱屋敷のことは私ならびに預かりの手代ともに江戸には所持しておりません。以上。酉11月。朝日定右衛門。
享保2年5月30日。能見物を行うようにとの廻文がある。
享保2年4月27日。明日から有章院様(徳川家継)の法事に付き、火の元などに念を入れ、物静かにするようにとの廻文がくる。前々の法事は3日であったが2日となり、出僧38人も30人になる。
享保2年4月15日。出仕がある。昨日の御目付からの廻文には、出向けない者はその際に相役または最寄りの者から直ぐに指示すると云々。
享保2年4月4日。昨日の廻文があったので源太左へ出かけたところ、菴原平左から弟子で槍を行う者の名前を書きつけて出すように申し聞かされたと云々。
享保2年3月27日。明日、初めて帰国の暇を進められた祝詞に月番のご老中へ出向くようにとの廻文がある。文左衛門などは頭へ出向くようにと。
享保2年3月25日。暇を進められたとの廻文が出る。菴原平左が江戸へ出発するが、明日の晩出発ということにする。若尾奥之右衛門が名古屋に到着する。
享保1年11月4日。火事の廻文がある。
享保1年8月7日。有章院様(徳川家継)の法事が9日から10日まで行われるので物静かにするようにとの廻文がある。昨日、宮町一郎右衛門が死ぬ。子もおらず、甥に跡を継ぐよう言うが、一郎右衛門の汚く、下品な性根を知って跡を継ぐことを嫌がった。無理やり跡を継ぐと程なく煩い、妖狐が憑いているようだったと。形見分けを貰う者もおらず、お気に入りの大工1人が形見に10両貰うが、やがて煩って死んでしまったと。近頃、林百助・七三郎2人に御条目の用務を仰せつけられる。荒井には仰せつけられず、悶々とする。