正徳6年4月28日。小笠原半七宅で水野久次郎に30石、5人扶持を下され、勘大夫跡役は御林奉行に仰せつけられる。水野の屋敷も下される。通い屋敷は用務にはなくてはならないので書付を差し出すようにと。これは我らの指図ではないと言われる。修理殿はこの度のことで遠慮なされているので、1日の礼にも仲間は出かけないように。もちろん遠慮の見舞いにも出かけないように。廻文がある。24日の夜、安房守様(松平通温)御歩行鈴木次与右衛門が三番(午後11時)過ぎに他所から新道の南長屋へ戻った。門番が言うには三番を過ぎているので御目付衆に報告すると言って、房州様御目付に報告した。鈴木与次右衛門は新五兵衛の子であった。入れ…