正徳4年12月11日。巳(午前9時)前、文左衛門は瀬左へ頼母子に出かける。文左衛門は5両を得る。5両は自厭(辞退?)。吸物・酒を頂く。米は4斗3、4升。銭は3貫250。切賃は80文。近頃、名古屋の町人桔梗屋・堺屋・奈良屋・備前屋などが夜な夜な粥を持たせてあちこちへ遣わし、非人に与える。椀がない者には古椀を与える。3、4升ほどを粥にすると一荷物になると。熱田へも寒さのせいで詣でる者が少ないと。あちこち生活が苦しいはずであるが七間町の長持、本町の古手はこの年ほど売れたことは近年なかったと云々。わからないことである。