享保2年6月8日。隼人正同心坂下の山本只右衛門は上田伴右とは相聟だったので、この日伝馬新田へ網打ちに出かけた。いつもの日用は用事があったので、養念寺門前の16になる男を雇った。只左衛門聟の五十人中根源三郎も一緒に出かけた。源三郎は11ほどの小僧を連れて行った。新田で網を打った。そのうちに2人とも見えなくなると云々。小僧の笠が水の上に浮かんでいたので網を打つと、小僧の屍が上がった。このため人を雇い、そのあたりを探させると同じところに16の屍もあった。ともに帯をしていた。小僧が滑り落ちたのを取り上げようとしてまた落ちたかと云々。すり鉢のようなところであった。三浦大次兵衛が若党を手討ちにする。昨年冬…