正徳4年9月25日。この日から父親に玄瑞が内薬(飲み薬)を用いる。野崎村の免は5分5厘下がり、3つ3分5厘。夜、冨田勘左衛門の門外に切られた人の手が落ちていた。長屋の壁にも少し血がかかっていたと。死体は古い筵に包まれて笈瀬の川に捨ててあった。切られたのは七間町の歩きの子で、先年追い出されていた。家は巾下六句町、長右衛門といって仲間であった。内町の北江川町けんとん屋(倹飩屋)若竹屋も仲間で、町へ預ける。一町へ預ける。志水甲斐馬屋の者1人、小笠原三九中間1人も主人に預け、詮議がある。博奕打であった。仲間が徐々に明らかになり、六句町からは67人が10月下旬牢に入る。切った本人は三九中間と云々。酒井金…